沖縄には「命どぅ宝」(命こそ宝)という言葉があります。それを身をもって体験することになった上原さん。骨髄提供は「命のつながり」を実感する体験だったと語ります。
提供に迷いはなかったけれど、思い切って話すことで職場での理解が広まり、ドナー休暇制度の導入につながりました。会ったこともない患者さんを心配する自分に、移植経験者の家族だったことを話してくれた友人に励まされたことも。 (この体験談は、日本骨髄バンクニュース第55号[2019年12月4日発行]でもご紹介しています)
PROFILE
上原友希さん
2018年ドナー登録。
2019年骨髄提供。
私は沖縄出身であることもあり、「命どぅ宝」(命こそ宝)の言葉を大切に育ってきました。そのため、提供や手術に迷いはありませんでした。
社会人2年目の私にとって、仕事の調整が難関でした。確認検査までは、自分で仕事を調整して有給休暇を使って臨みました。提供までに7割の有給休暇を使うことになりそうだったので、思い切って会社にサポートを願い出ました。「図々しいかな」と不安に思いましたが、骨髄提供の大切さを説明し、「誰かの命を救うことができるかもしれない」と訴えると賛同者も増え、ドナー休暇制度を導入してもらうことができました!
そして骨髄提供の日。手術をするイメージができていなかったので、生まれて初めて乗る手術台に心臓がバクバク...すごく緊張しました。麻酔医の方が「BEGIN」の曲を流してくれて、大好きな優しい声に一気に緊張が緩んだのと同時に麻酔がかかり...起きたときには手術は終わっていました。想像以上にあっという間でした。
提供後にDLI(※末尾参照)のための採血の依頼もありましたが、こちらは患者さんの体調を理由に直前で中止になってしまいました。連絡を受けた後「患者さんはどうなるのだろう...」ということが頭を横切り、涙があふれてきました。会ったこともない患者さんを家族のように心配していた自分に初めて気付かされました。辛い気持ちを抱えきれず友人に話しました。
すると、友人が「自分の妹も骨髄移植を受けて今は元気になっている」と初めて聞く話をしてくれました。「今はショックかもしれないけど、骨髄提供をしてもらった時、患者さんもその家族もすごく勇気をもらったはずだよ!大丈夫!」と、患者家族としての気持ちを話してくれて、すっと気持ちが楽になりました。
骨髄提供後、会社でも自分の体験を話す機会をいただきました。終わった後、社長が声をかけてくれました。「あなたがきっかけで、会社も制度を整えることができた。ありがとう」。適合通知をいただいてからおよそ3か月。誰かの命について悩み、考え、行動したことが報われた気持ちでした。
今回、私は改めて「命のつながり」を実感しました。骨髄提供は「命をつなぐ方法」のひとつだと思います。自分の体験を伝えることで、また誰かが「命をつなぐひとり」になってくれたら嬉しく思います。
※DLI(ドナーリンパ球輸注療法)
骨髄・末梢血幹細胞ドナーのリンパ球を全血献血もしくは成分献血と同様の方法で採血し、患者に輸血する治療法。移植後の患者に起きる合併症の一部や白血病再発などに有効とされている。