叔父の病気がきっかけでドナー登録した世羅さん。
ドナー登録することで、誰かを助けることができることを、もっと多くの人たちに知ってほしい。その思いをつづります。
自らの提供経験を伝えたいと骨髄バンクの語りべを志願。(この体験談は、日本骨髄バンクニュース第58号[2021年7月1日発行]でもご紹介しています)
PROFILE
世羅 友実(せら ともみ)さん
2017年ドナー登録
2019年骨髄提供
私は、2019年秋にドナーとして骨髄提供しました。献血は定期的に行っていましたが、登録のきっかけは2017年夏、叔父が急性骨髄性白血病と知らされたことでした。家族なのに何もできないことがもどかしく、連絡のあった3日後には献血ルームでドナー登録していました。けれども病状の進行は思ったよりも早く、叔父は1年後に旅立ってしまいました。
それから半年経った冬の日、骨髄バンクから適合通知が届きました。まさかこんなに早く適合通知がくるとは。実家の父にその事を伝えると、「助けてやれ」と言ってくれました。母は「嫁入り前の身体なのに」と心配したようですが、「やると決めたらやる子だから」と反対はしませんでした。私自身は、これも何かの巡り合わせのように思えたので、迷うことなく承諾と回答しました。幸い職場も含め反対はなく検査結果も問題なく進み、採取まではあっという間でした。とはいえ適合通知から採取まで半年近くかかり、患者さんの状態が心配で、「もう少しだけ頑張って」と願い続けました。
採取が終わり、目が覚めたときに感じた腰の鈍痛で採取したことを実感。回復は早く、採取当日に自力でトイレに行くことができ、退院後すぐに職場復帰できました。それから半年近く経った頃、患者さんとご家族から退院した旨の手紙をいただきました。「誰かを助けたい」とドナー登録したあの日の想いが形になった瞬間でした。
提供から2年が経とうとしている今、たまに提供したことを話すと「すごいね」と言われます。でも「私もドナー登録してるよ」と言われたことはまだ一度もありません。私は今のところ元気ですが、いつどうなるかわかりません。周囲の協力があって生きていることは確かです。決して1人で生きているわけではないから、命を独り占めせず、これからも誰かのために使おうと思います。身体が不自由な人に座席を譲るように、元気な人が献血するように、「私もドナー登録してるよ」と命をつなぐ人が1人でも増えますように。