ドナーさんからもらった宝物
~2人の移植経験者が語る命のバトン~
白血病を発症し、20代と30代でそれぞれ骨髄移植によって新たな命を得た元患者さん。 その貴重な経験を通じて、現在語りべとして活動する2人の方にお話を伺いました。
(この対談は、日本骨髄バンクニュース第54号でもご紹介しています)
PROFILE
池谷有紗(いけがやありさ)さん、樋口大悟(ひぐちだいご)さん
最初の診断は「急性骨髄性白血病」でした。自家移植(患者自身の造血幹細胞を輸注する治療方法)の予定でしたが、抗がん剤で肝臓がダメージを受けており、幸い白血病細胞が消えていたので経過観察に。1年後、数値に異常が出て「骨髄異形成症候群(MDS)」と診断され、移植しかないと言われました。治療の過程でMDSに転化してゆっくり進行する珍しいタイプで、それから3年間移植に適する時期を待ちました。治療はなく1か月おきに検査をするだけ。日常生活に支障なしでしたが、精神的にはその頃が一番きつかった。ある日医師から「移植するなら今です」と。骨髄バンクでドナーさんはすぐ見つかりましたが、移植にあまりいいイメージはなかったんです。つらい抗がん剤治療の1クールが終わって、周りがキラキラしているのを見るのがつらかった。でも友達はみんないつもと同じように会話をして、変わらない毎日を作ってくれました。疎外感を感じないように周りがしてくれたんです。それがなければとっくに心は折れていました。
私もそうでした。同級生は、就活の合間をぬって会いに来てくれました。学校の友達、サークルやアルバイトの仲間も頻繁に会いにきて、入院前と変わらない会話で楽しませてくれて、辛い気持ちも、自分が病人だってことも忘れるくらいに幸せな気持ちに変わっていました。最初に入院した大学病院は骨髄移植の症例数が少なかったので、主治医の勧めで転院しましたが、どちらの病院も看護師さんがとてもアットホームで精神的にも助けられました。後になってその経験を看護学校の講演会で話した際には、生徒さんから「そういう観点があることを知ることができてよかった」との声もいただけました。卒業旅行や所属していたストリートダンスサークルのイベントや学園祭に出られなかった悔しさはあったけれど、その前後には必ず皆が会いにきてくれて。少しでも孤独や寂しさを感じないようにと、いつも考えてくれた彼らの愛や支えがなければ、絶対にあの日々は乗り越えられなかったと思っています。前処置治療(患者の造血幹細胞を全て失くすために放射線治療と大量の抗がん剤投与を行う強い治療)の期間中、深夜1時に注射をした直後、今まで一度も感じたことのない腹部の激痛に襲われ朦朧状態に。その後3日間ベッドにしがみついて痛みと闘っていましたが、不思議と移植の日に痛みが和らいでいったんです。
当時は若くしてこういう病気になった人のことは知らなかったし、ものすごく不安でいっぱいでした。だからこそ今こうして自分の体験を話して、こんなに元気になるんだということを知ってほしいなと思っています。ひとりの力ではどうにもならない。どんなに医学が進んでも、いい医者がいたとしても、周りに友達がいて、ドナーさんがいてくれたから今の自分がある。『明日への扉』という骨髄バンク支援ミュージカルを行っているスクールオブミュージック専門学校の生徒さんを対象に講演したとき、自分の移植中のVTRを流しました。「皆さんの演技を観た人が、あるいは皆さん自身がもしかしたら命を救える存在のひとりかもしれません」と直球で話しました。それを聞いて、「翌日稽古場の生徒たちの態度が変わった」と先生から聞いたときはうれしかったです。
自分が生かされているという気持ちがします。自分にとって骨髄移植とは、死にかけて天に浮かんでいく自分の手を、顔も名前も知らないドナーさんが手をとって両親や友人のいる世界に引き戻してくれたような出来事でした。ドナーさんからもう一度生きるチャンスを与えてもらったのだから、毎日が貴重なプレゼントだと思わなきゃいけないなと。病気が自分から奪っていったものに葛藤したり、未だそんな気持ちを覚える時も正直あるけれど、それでも前を向いていくことで、いつか同じような気持ちを抱く誰かに寄り添うことができるかもしれない。人生で起きることには何か意味がある。そしてそれをプラスにするかマイナスにするかは自分次第ではないかと。語りべ活動も含めて、これからも少しでもプラスになったかなと思えるようなことを、ゆっくりと1歩ずつ、引き続きやっていけたらと思っています。
演劇を通じて知り合った映画監督・脚本家の両沢和幸(もろさわかずゆき)さんが、僕のドナーさんに対する気持ちを『僕のヒーロー』という歌にしてくれたんです。それをきっかけに2019年4月からユニットを作って、音楽のライブ活動を始めました。この歌を聴いていただく場を少しずつ広げています。もう一つは、映画作りの夢を実現したいと思っています。自分の骨髄移植の体験をベースに、僕にしかできないひとりの人間の物語として、映画にしてみたいと思います。そう思ってもう5年くらい経っていますが、監督から「言えばそれを誰かが拾ってくれる」と言われて、「映画を作りたい」と口にするようになったら、不思議と人の縁がつながってきました。巡り合わせかもしれませんが、お互いの信頼関係を確かめながら、病気の人を励まして、ドナー登録を考える人を後押しするような作品を作りたいです。
もともとイラストを描くのが好きで、ラインスタンプを作っていますが、そのコンテンツを増やしたいなと思っています。自分の体験をからめた冊子やキャラクターグッズの制作などにもチャレンジしてみたいです。実は音楽も好きで、ちょっとずつ作曲も始めています。これまで落ち込んだとき、ドナーさんから頂いた手紙を読み返した回数は数えきれないくらいです。「今あなたがありがとうと言ってくれる状態でいてくれてありがとう」というその言葉に、何度も支えられてきました。昨年(2018年)秋に、『ほぼ完治と思って良いよ』と医師から言われました。病気を患って以降、様々な気持ちと向き合いながらの日々でしたが、やっとひとつの節目を迎えられたような気持ちになれて、今後は自分のやりたいことにも、もっと目を向けて、感謝を忘れずに進んでいきたいと思います。