1歳のとき骨髄バンクを介して骨髄移植を受け、今ではすっかり元気になりました。
まだ0歳にもかかわらず、「若年性骨髄単球性白血病」という100万人に1人といわれる難病と診断された梨花(りんか)ちゃん。お母さまの宮島知子さんがその貴重な体験を語ってくださいました。(このインタビューは、日本骨髄バンクニュース第56号[2020年7月1日発行]でもご紹介しています)
PROFILE
宮島梨花(みやじまりんか)ちゃん
ある日、乳児湿疹の治療で皮膚科を受診したついでに足裏の紫斑を相談したら、小児科に行くよう言われました。
小児科で採血したところ「白血球が多く血小板が少ないので、念のため総合病院に行くように」と。この段階では「入院レベルではない」とのことだったので、安心しきっていました。
ところが紹介先の総合病院で白血病の疑いがあると判明し、治療のため大学病院に転院。明るい未来を想像していた矢先にいきなり奈落の底につき落とされたような思いでした。駆けつけた家族と、幼い娘を抱き抱え、全員で泣きました。
治療方法は骨髄移植しかないだろうとのことでした。この子に兄弟姉妹はなく、両親で適合しなければ骨髄バンクで探すことになると聞き、ドナーが見つかるかとても不安でした。
100万人に1人の「若年性骨髄単球性白血病」と診断されました。タイプがいくつかあり、予後不良の遺伝子エラーであると。研究中の病気であり、治療方法は造血幹細胞移植のみと言われました。
まずは比較的軽い抗がん剤を大学病院で1クール。2クール目からは小児がん拠点病院に転院し、3クール目を終えたところで今後の治療方針の話があり、2018年8月末頃に骨髄バンクに患者登録。6クール目を終えて同年12月骨髄移植に至りました。
HLA一座不一致の方5人のドナー候補者のうち、お話を進めることができたのが1人のみで、現実の厳しさを知りました。でもドナーさんはこちらの日程に合わせてくれ、わりと早く移植にたどり着けました。ドナーさんがお忙しい中都合をつけてくれたことに感謝しています。
家族以外の協力も有り難かったです。娘が発症した時、私は育児休業中で、1歳の誕生日が過ぎてからは介護休暇を取得。後に看病に専念するため退職しました。
また、病気を機に転居し、主人も社内で異動させてもらいました。夫婦共に看病しやすい環境にしてもらいました。
病院で娘が1歳の誕生日を迎えた日、医師と看護師さんたちから寄せ書きのサプライズが。前処置に入ったその日の出来事で、すごく勇気づけられました。
素敵な方にご縁があり、今でもそのお手紙を読むと涙が出そうになります。顔も知らない娘のために貴重な時間を割いて骨髄提供していただき、本当にありがとうございました。娘が大きくなったら、ドナーさんからのお手紙を渡そうと思っています。
移植で入院する1週間前のことです。初めて行った「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」の会場で骨髄バンクのブースを見つけました。何か運命を感じて自然と涙が溢れました。こういうPR活動で少しでも多くの方に知っていただき、ドナー登録者が増えてくれたらと思いました。
ドナーさんに助けられ、今度は私たちが恩返しをする番です。娘の退院後、会場に行き募金をしてきました。私たち家族にとって毎年恒例行事になりそうです。
(書面インタビューをもとに構成しました)