Vol.0024

1歳のとき骨髄バンクを介して骨髄移植を受け、今ではすっかり元気になりました。

まだ0歳にもかかわらず、「若年性骨髄単球性白血病」という100万人に1人といわれる難病と診断された梨花(りんか)ちゃん。お母さまの宮島知子さんがその貴重な体験を語ってくださいました。(このインタビューは、日本骨髄バンクニュース第56号[2020年7月1日発行]でもご紹介しています)

みんなのストーリーより「宮島梨花(みやじまりんか)ちゃん」

PROFILE

宮島梨花(みやじまりんか)ちゃん

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生後3か月ぐらいに、抱っこ紐をした時にだけ足の裏に紫斑が。そのほかにも予防接種を受けると広範囲で内出血を起こしたり、ミルクを飲む量が極端に少ないなど気になるところがありました。ただ、成長具合は「成長曲線」の正常値の範囲内だったので、重大な病気だとは思いませんでした。
ある日、乳児湿疹の治療で皮膚科を受診したついでに足裏の紫斑を相談したら、小児科に行くよう言われました。
小児科で採血したところ「白血球が多く血小板が少ないので、念のため総合病院に行くように」と。この段階では「入院レベルではない」とのことだったので、安心しきっていました。
ところが紹介先の総合病院で白血病の疑いがあると判明し、治療のため大学病院に転院。明るい未来を想像していた矢先にいきなり奈落の底につき落とされたような思いでした。駆けつけた家族と、幼い娘を抱き抱え、全員で泣きました。
治療方法は骨髄移植しかないだろうとのことでした。この子に兄弟姉妹はなく、両親で適合しなければ骨髄バンクで探すことになると聞き、ドナーが見つかるかとても不安でした。
移植した翌日に、血小板アレルギーがひどく、全身に発疹と咳や嘔吐が出て、この先もこういうことが続くのかと思って心配しました。
そして前処置(自身の造血幹細胞を壊すため、移植の約1~2週間前から抗がん剤投与や放射線照射を受けること)の影響から、触っただけで髪の毛がバッサリ抜け落ち、変わり果てた娘の姿にショックを受けました。朝起きたら大量の髪の毛が散らばっていてドラマのような光景でした。
娘は24時間点滴に繋がれ、一畳程のベッド上での生活がずっと続いていたので辛かったと思います。まだ1歳になったばかりで言葉も話せず、キツイとかこうして欲しいとか言えないので、表情をみるしかありませんでした。
家族は、24時間娘の付き添いをする私にお弁当を作ってきてくれたり、ファミリーハウスに泊まって一緒に付き添いをしてくれたり、みんなで協力して乗り越えました。また、離れて過ごす娘のために毎日のようにテレビ電話で話をしたり、親戚や友達がお見舞いに来てくれたり、いつも誰かがそばにいる環境で元気づけられました。
家族以外の協力も有り難かったです。娘が発症した時、私は育児休業中で、1歳の誕生日が過ぎてからは介護休暇を取得。後に看病に専念するため退職しました。
また、病気を機に転居し、主人も社内で異動させてもらいました。夫婦共に看病しやすい環境にしてもらいました。
病院で娘が1歳の誕生日を迎えた日、医師と看護師さんたちから寄せ書きのサプライズが。前処置に入ったその日の出来事で、すごく勇気づけられました。
移植当日、病院に真っ赤な骨髄液が届いたと聞いたときは本当にうれしくて、やっと希望が見えてきたと思いました。この日を迎えるまでドナーさんは娘を助けるために最善を尽くしてくれて、いろんな思いがこみ上げて涙が出そうになりました。
移植日を無事に迎えられて本当に良かったと思います。
まずはドナーさんの幹細胞が生着することに願いをかけました。一度取り出した骨髄液が他人の身体に入り、やがて生着し正常な造血機能を果たすというのがすごいなと思いました。白血病になったのはとても残念なことですが、医療が進歩している今の時代でよかったと思います。

入院中はぐったりしているよりも、ベッド上で起き上がって遊ぶほど元気でした。
移植後は思ったよりも早く個室から出られるようになって、病棟で歩行練習をして体力をつけていきました。
退院後、娘の成長スピードは驚くほど早く、元気に歩けるようになったり、高い所に上れるようになったり、好奇心旺盛でいろんなものにどんどん興味を持ってくれるようになりました。何より家庭が明るくなったことが一番でした。入院中は痩せていましたが、退院して好きなご飯を食べるようになって、少しずつ体重が増えてきました。爪も生え変わったのにはビックリでした。

闘病期間の約9か月間はとても濃い入院生活でした。生きていることが当たり前ではなく、この子はドナーさんや先生方をはじめ、たくさんの方々によって助けられた大切ないのちだと、かけがえのない重みを感じています。 前処置が1歳の誕生日から始まったこともあり、誕生日を迎える毎に「生きていてくれてありがとう」と当時を振り返り、今年も1年元気に過ごせていることに感謝しています。もし病気じゃなかったらこんなことは思わなかったかもしれません。第2の誕生日(移植日)もできたので、お祝い日が1つ増えました。
患者とドナーは、移植後1年以内に2回まで手紙を出すことができます。私たちも退院してからすぐに退院報告とお礼のメッセージを送りました。ドナーさんから返事をいただいたときはとても嬉しくて感動しました。
素敵な方にご縁があり、今でもそのお手紙を読むと涙が出そうになります。顔も知らない娘のために貴重な時間を割いて骨髄提供していただき、本当にありがとうございました。娘が大きくなったら、ドナーさんからのお手紙を渡そうと思っています。
移植で入院する1週間前のことです。初めて行った「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」の会場で骨髄バンクのブースを見つけました。何か運命を感じて自然と涙が溢れました。こういうPR活動で少しでも多くの方に知っていただき、ドナー登録者が増えてくれたらと思いました。
ドナーさんに助けられ、今度は私たちが恩返しをする番です。娘の退院後、会場に行き募金をしてきました。私たち家族にとって毎年恒例行事になりそうです。
(書面インタビューをもとに構成しました)
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