「今やりたいことをできることが幸せ」
小児で再生不良性貧血を発症し、中高時代に骨髄移植を受けた二人。
現在ユースアンバサダーで活動する二人の移植経験者、浅倉茉鈴さんと中田萌々香さん。お二人にWebで対談していただきました。
(この対談は、日本骨髄バンクニュース第57号[2020年12月2日発行]でもご紹介しています)
PROFILE
浅倉茉鈴(あさくらまりん)さん、中田萌々香(なかたももか)さん
東京都出身
2011年再生不良性貧血を発症。
2016年高2(17歳)のとき骨髄バンクを介して骨髄移植を受ける。
2020年現在、理学療法士を目指す大学3年生。
中田萌々香さん(なかた ももか)さん
京都府出身 2003年再生不良性貧血を発症。
2014年中2(13歳)のとき骨髄バンクを介して骨髄移植を受ける。
2020年現在、心理学の分野で研究を進める大学2年生。
小学校6年生のとき、全身にあざが増えて病院へ。病気の自覚症状はなく、サッカーをしていたので、あざもそのせいだと思っていました。血液検査の結果は即入院。病名が「再生不良性貧血」とわかるまでに、転院もあり2~3週間かかりました。
移植をするかどうかは薬物治療で安定し、最適な時期を見計らってからのほうがいいといわれ、しばらく様子を見ることになりました。
高1になってから本格的に移植に向けて調整が始まりました。兄と姉は互いにHLA型が適合しましたが私とは適合せず、骨髄バンクで探すことに。ドナーさんはすぐに見つかり、3人に絞られたものの、全員同意が得られず、もう一度探し直すことになりました。
再度ドナーさんが見つかり、移植することが決まりました。ところが入院後、今度は私の血小板の数値が急に上昇して移植は中止。
退院後すぐに数値は下がりましたが、それから半年後の高2の11月に移植しました。最初に入院したときは不安で夜眠れないほどでしたが、次に入院したときは、もう「やるしかない」と。
移植当日は、ドナーさんの骨髄液を内心どきどきしながら待ちました。移植後は順調で1~2週間で数値が安定し、「無菌室を出られるよ」と先生に言われたときは、やっとこの隔離された空間から出られるとすごくうれしかったです。個室に移ってからは、GVHDでお腹が剥がされるような激痛と下痢で苦しみました。トイレとベッドを行ったり来たりの眠れない状態でつらかったです。
その頃のことはあまり覚えていなくて、あとから聞いた話です。普段から全身に青あざが多く血が止まりにくいことがありましたが、ある夜鼻血が止まらなくなって病院へ。検査をして「再生不良性貧血」とわかりました。物心ついた頃からずっとそんな状態だったので、発症したという感覚よりは病気なのが普通って感じでした。とりあえず薬物治療で、できる限り様子を見ようという治療方針だったそうです。
中学に入学すると体調が悪化し、輸血をよくするようになり移植することに。妹とは適合せず骨髄バンクで探すことになりました。ドナーさんはすぐに見つかり、中2の8月に入院し9月に移植しました。学校は中高一貫校で授業スピードが早く、入院しながら勉強するのがしんどかったです。テストのため病院から学校に行ったことも。入院中も課題に追われたりテストを受けたりしていました。
入院生活は、始めは事の重大さがわかっていなかったですね。無菌室に入ってからは、吐き気や倦怠感でしんどかったという記憶しかないです。ドナーさんの骨髄液を見たときの気持ちは、「これを入れたら終わるんだ」と。移植後は熱が下がらない状態が続きました。血球貪食症候群と急性GVHDを合併していたそうですが、GVHDとは別の原因だったようですが、自分にはなにも知らされないうちに治療を受け、回復して退院しました。