病を通し、いのちへの感謝を心に刻み看護師の道へ。
「次は誰かの力になりたい」と新たな人生を歩んでいます。
幼くして再生不良性貧血で骨髄移植を経験した長元真弓(ながもとまみ)さん。
(この体験談は、日本骨髄バンクニュース第57号[2020年12月2日発行]でもご紹介しています)
PROFILE
長元真弓(ながもとまみ)さん
母が異常に気づいて病院へ連れて行き、血液検査をして帰宅する途中、病院から「今すぐ大学病院へ行ってください」と連絡がきて、その日のうちに緊急入院。「再生不良性貧血」という病気とわかりました。短期入院を繰り返して通院治療を継続していましたが、すぐに風邪を引いたり、何をしても疲れやすく、学校は休みがちでした。
骨髄移植のため、両親と兄弟のHLA型を調べましたが誰も適合せず、骨髄バンクでドナーの方が現れるのを待つ日々が始まりました。先が見えない日々で、明日は自分がどうなってしまうのかという気持ちで毎日が不安でした。
しかし、幸いなことにドナーの方が見つかり、移植できることになりました。抗がん剤による前処置が始まり、激しい副作用症状の苦しみを超え、2006年6月に骨髄移植を行いました。
移植後は粘膜障害などの副作用に苦しみながらも、大きく日常生活が損なわれるようなこともなく、9月の終わりに退院しました。その後定期的に外来でフォローを行ってきましたが、現在まで再発もなく過ごすことができています。
家族や友人、学校生活から切り離され、先が見えない孤独な入院生活の中で、主治医の先生や担当の看護師さんが笑わせてくれたり、同室の友だちから多くの元気をもらいました。その当時は思ってもいませんでしたが、今はお世話になった病院で看護師として勤務しています。
当時、自分は不幸だと思い込んで、ふさぎ込んでいました。しかし病気を通して、たくさんの人の優しさと見知らぬ誰かの親切で命がつながっており、幸せに恵まれていたことに気づかされました。それは「次は誰かの力になりたい」という気持ちの芽生えとなり、私の人生を変えました。
日本赤十字社の献血からの輸血計24回、そして骨髄バンクのドナーさんからの骨髄提供によって、私は今生きています。名前も顔もわからない親切な皆さまに、この場を借りて感謝いたします。そしてどうかこれからも、その優しさで多くの人々の命をつないでいただきたいです。