発症してから10数年を経て骨髄バンクを介して骨髄移植を受け、今では重大な病気を経験したとは思えないほど元気になりました。
講演会や患者向けセミナーでは、自らの苦しい体験を通じて患者さんと語らい、勇気づけてくれます。移植から5年後に弟の哲平さんが骨髄バンクで提供ドナーとなりました。現在、姉弟そろって骨髄バンクを支援していただいています。(このインタビューは、日本骨髄バンクニュース第51号[2017年12月6日発行]でもご紹介しています)
PROFILE
後藤千英(ごとうちえい)さん
バスケに明け暮れていた高2の秋頃、手の甲が異様に腫れて病院へ。「骨髄異形成症候群(MDS)」と告げられました。この病気は発症しても症状が悪化しない限り、薬もなければ治療方法もなく、血液検査だけの経過観察が10数年経過しました。病状に変化がないので、血液検査の間隔もだんだん空いていき、次第に病気だという自覚も薄れていくほどでした。
けれども30代になった頃、登山で動悸とひどい頭痛がして、様子がおかしいことに気づきました。診察を受けたところ、再生不良性貧血に近いタイプのMDSとわかりました。当面の治療方法は輸血だけ。医師からは「骨髄移植しかない」と。兄と弟のHLA検査の結果、2人は同じ型だったのに私とは不一致で、とてもショックでした。
以前は事務職でしたが、通院しやすいよう営業職に変わり、今では病気だったことが信じられないほど元気に活動しています。小さい会社ですが「ドナー休暇制度」ができました。勤務先にこういうバックアップ体制があると、ドナーさんにとっては、提供に前向きになれると聞いています。これを機にほかの事業所にも広がっていくとうれしいです。
病気でつらい時期は本当に苦しい時間ですが、今病気と闘っている患者さんへは「上がらない雨はない」と伝えたいです。苦しいことがあってもいつか必ず嵐はやむ時が来ることを信じてほしい。
ドナー登録してくれた方には、もし適合したら一度は話を聞いてほしいと思います。いろいろな事情があって提供が難しいこともあるでしょうけれど、せめて一度お話を聞いて、それから判断してもらえればいいなと思っています。
こうして命を分けてもらったことへの感謝でいっぱいです。最上級の「ありがとう」を探しているけれど、ほかに言葉が見つからないです。