悪性リンパ腫の2度目の再発。ドナー登録や骨髄バンクに対する患者さんの思いを語ってくれました。
大川さんが選択した治療法は、骨髄バンクを介した骨髄移植でした。「今はもう、自分だけの体じゃないという気持ちです。提供してくれたドナーさんの気持ちに応えて、しっかり生きなくちゃ」と療養に励む毎日。
PROFILE
大川かおり さん
悪性リンパ腫という病気は、ほとんど自覚症状がないんです。私の場合、きっかけになったのは、ひどい腰痛で夜間救急に担ぎ込まれたこと。最初の診断は「ヘルニア(ぎっくり腰)」で、そのまましばらく入院することになったんです。
入院中お風呂に入ったとき、体を洗っている手が、裸の左の腰あたりで、ポコンとした出っ張りに触れたんです。私、近視で矯正しないと自分のお腹も見られないほどなので、慌てて外にいる看護婦さんを呼んで「ここが変なんですけど」と訴えたら、そのまま診察室に逆戻り。そのときは「しばらくして引っ込めば悪性リンパ腫ではなく、単なるリンパ節炎。様子をみましょう」ということになりました。
その後、確かに引っ込みました。でも、2週間するとまた出てくる。それの繰り返しです。実はその頃、ちょうど大学の卒業と重なっていて、私は教員として実家を離れる予定でした。なので深刻な病気なのかそうでないのか、はっきりさせたくて、摘出して調べてもらうことにしました。
手術は、下半身だけの麻酔でした。少々怖かったですが、手術中意識があるので、先生と話したりもできたんです。摘出されたものを見て、先生が「あ、これは大丈夫だよ」と言ったので、もうすっかり安心して、手術の結果を聞く日はひとりで病院に行きました。「あれ、ひとりなの?」いつも母親と一緒に受診していたので、その日 1 人だけで来た私を見て、先生がそう言うんです。嫌な予感がして......、案の定、病名は悪性リンパ腫。もう赴任先の学校も決まって、あとは引っ越すばかりというときの告知でした。
幸い赴任先の学校に理解があり、抗がん剤治療を受けて病状が安定したあと、約半年遅れで、教壇デビューしました。赴任先は元・男子校だった共学高校の男子クラス。ずっと東京で育った私には、野球場とサッカー練習場にテニスコートまである広い校庭がすごく新鮮でした。本当に広大で、部活動の顧問の先生は、校舎から練習場所までスクーターで移動するほどなんです。
実は治療のあと、髪の毛がまだ生え揃わず、カツラ着用で先生をしていたんですが、夏になったらムレて暑くて、授業に集中できず......。ある日思い余って「悪いんだけど、脱いでいいかな」と生徒に聞いたんです。生徒は勘違いして「ヒュ−ヒュ−!」なんて盛り上がってくれたんですが(笑)、カツラを脱いだ私に、一瞬唖然としてました。
「実は......」と、病気や治療の影響だということを話したんですが、茶化して笑っていた生徒が「先生、ごめん」と誤ってくれて、私も悪乗りして、「間違えたら、この汗だくのカツラをかぶせる!」なんて授業のネタにしてみたり......。本当に微妙な年頃で、ごっつい男子生徒が作文に、「生きている意味がわからない」なんて書いてきたりするんです。体調が悪くて、椅子に座ったままの授業になるときもありましたが、生徒たちの励ましになればいいなと思いながらの教師生活でしたね。
翌年の再発は、自家移植(自分の造血細胞を人工的に増やして移植する)で乗り切り、いったんは職場に戻ったんですが、その翌年に 2 度目の再発。今度は骨髄バンクによる骨髄移植で命を取り留めました。
今、教壇復帰は考えていません。短くても先生が経験できたことで、自分は教師という仕事が好きだし、学校という職場も好きだということが本当に分かって、それはとても良かったのですが、やはり体力的にとても厳しい仕事なので。それよりも今はドナーさんにいただいた命を大切に生きなきゃと思っています。
骨髄移植は、それをしないと死んでしまうということが分かっていても、怖かったですね。だいたい他人の細胞が自分の体に入って増殖するということ自体が、よく理解できない。私に提供してくれたドナーさんは男性だったので、「中身だけ男になるって、どういうこと!?」と、母と話しこんだりしました。
でも、そんな不安や怖さも、骨髄液が体のなかに入ってきた瞬間に、パァッと消えてしまったんです。点滴の針から、フワッとした温かさが入ってくるような感覚で、「ああ、これはドナーさんの気持ちが入っているからなんだなぁ」と思いました。骨髄液と一緒に「生きてくださいね」という気持ちが、私の体の中を巡っているような感じでした 。
ドナーさんの存在は、患者1人の命を救うだけのものじゃないですね。骨髄移植を必要とする患者の家族、周囲の人たちの不安や心配も相当です。そんな周囲の人間も、患者と一緒に救ってくれるんです。実際、発病以前からの付き合いになる婚約者は、私の移植当日に、赤い骨髄液のパックを目にするまで、名前も知らない人間に、わざわざ麻酔を受けてまで提供するドナーさんがいるということが信じられなかった、と言っていました。
だから今は、妊婦さんとは別の意味で「自分だけの体じゃない」という感じです。ドナーさんの気持ちを無駄にしないように、体を大切にして過ごしています 。
骨髄バンクに患者登録したとき、私には50人のドナー候補が見つかり、幸い提供に同意してくれる人も現われました。
でも、闘病中の友人の 1 人は、ドナー候補が 2 人しか見つからず、移植ができるかどうか分からないという状況にいます。 彼女はなにも悪いことをしていないのに、どうしてこんな不公平な目に合わなければいけないのか。同じ患者として、とても悲しいし悔しい。多くの人のドナー登録があれば、そういう不公平もなくしていけるのにと思うんです。
ドナー登録が増えて、適合の確率が上がることは、患者にとってはもちろん嬉しいことですが、登録した人にとってもメリットがあるんじゃないかと思います。例えば、提供する意志があっても、体調や都合が悪くなって提供できないというとき、他にドナー候補者がいたら、その人が無理して提供しなくてもいいし、提供を断るという決断をしなくても済む、というふうに。
ドナー登録が増えることは、ドナーさん自身の負担を軽くすることにもつながると思うんです。そうしてひとりひとりのリスクを分散することで、より多くの人がドナー登録のしやすい環境になり、患者の適合率も上がっていけばいい、と願っています。