1度良くなった急性骨髄性白血病が再発したのは、治療の2年後。
再発時の治療は、骨髄移植以外にないと知りながら「人に大変な負担を強いる治療に抵抗があった」という。でもドナーさんが現れたことが大きな励ましに。「生き抜こう」という前向きな気持ちになれたと話してくれました。
PROFILE
石山ナナさん
病気になったのは、25歳のときです。2カ月半のあいだに、下痢や発熱、生理不順、歯茎から出血したかと思えば、太ももや手の甲にアザができるなど、いろんな症状が現れて、そのたびに思い当たる「科」に通うのですが、原因が分からずに帰ってくることを繰り返していました。
医者からは「一時的な症状」と言われるんですが、自分ではどうしてもそう思えなくて、あるとき家にあった家庭用の医学辞典を読んでいたら、自分の症状がすべてあてはまる病気をみつけて。それが白血病だったんです。
すぐに病院を受診したものの、「白血病だと思う」とは言えなかったです。でも、血液検査で耳から血をとったら、その血が40分以上も止まらなくなってしまって。やはり白血病なんだなと思いました。診てくれた先生は「血小板減少症かな」と、そのときは病名をはっきり言いませんでしたが、私はその配慮がありがたかったです。ただ、その日からすぐ入院生活が始まりました。
当時は、食品メーカーに研究員として勤めていました。大学ではバスケットをずっとやっていて、"体育会系の技術職"だったんです。体力には自信があり、自分が病気になるなんて思ってもいませんでした。それだけに白血病になってしまったのは、仕事のストレスをうまく消化できなかった自分のせいという気がして、絶対自力で治そうと思ったんです。
そのときは8カ月間、抗がん剤などの治療で良くなって、部署は変わりましたが、会社にも復帰できました。ただ私の病気のタイプだと、治療を終えたあと約2割の人で再発することがあり、そのときは骨髄移植を受けることが最良の治療方法と先生から聞いていました。
心配していた再発が分かったのは、その2年後です。すぐに骨髄移植を勧められたのですが、正直なところ、私は受けたくない気持ちのほうが強かったんです。ひとつは、以前の治療で抗がん剤による点滴治療を受けるたびに40℃を越えるような高熱が出て、自分は移植前の抗がん剤治療に耐えられないだろうと思っていたからです。
もうひとつは、見ず知らずのドナーさんがかぶる負担を考えると、積極的になれなかったんです。私には姉がいるので、最初の発病のとき、すでに姉のHLA型は調べていて、合わないことが分かっていたのですが、姉がドナーだったとしても、提供は受けたくなかった。自分がふがいないせいでかかった病気なんだから、誰にも迷惑かけないで治したいと思っていたんです。それなのに、再発してしまった自分は、もうなにをやってもダメだろうという無気力な気分でした。
移植への抵抗感を払拭してくれたのは、2人の友人です。1人から「人の手を借りることは、恥ずかしいことなんかじゃない。必要なときに人に頼れることも能力のひとつだよ」と言われ、また別の友人からは「どんなに希望しても叶わないこともあるけれど、希望して実現できることもある。骨髄移植も結果は分からないけど、(提供を)お願いするだけしてみたら? 生きる可能性を最大にする方法を考えてみよう」と言われ、この2人のアドバイスで、移植という治療を前向きに考えられるようになったんです。
実際、ドナーさんが決まったときは、想像以上に励まされました。元気なとき、なにも人の役に立つようなことはしてこなかった自分に、提供しようという人が現れたのだから、なにがあっても生き抜かなきゃ、治ることでドナーさんの行為に応えようという気持ちになったんです。私の場合、適合するドナー候補者は29人いることが分かっていました。そのうち、型の一致度など、条件のいい人から順番にお願いしていって、11人目の人が提供に応じてくれたんです。私は比較的ドナー候補者に恵まれたほうですが、それでも5人、10人とコーディネートが終了してしまうと、だんだんと「見つからないかもしれない」という不安が強くなってきましたね。ドナーさんは、私と血液型が違う人だったので、赤血球などの取り除いたかたちでの移植でした。なので、普通はパックに詰められた骨髄液を輸血と同じように、点滴で体の中に入れるのですが、私のときは太い注射に1本分、かかった時間は1分足らず。移植にはもっと時間がかかると思っていたので、あっという間だったのは予想外でした。ただ身体の反応は、びっくりするぐらい激しかったです。「移植は2度目の誕生日よ」と看護師の方に言われて、お祝いだからとその日、メロンを食べていたんです。ところが骨髄液が身体のなかに入ってきたら、身体がカァーッと熱くなってきて、自分でも見る間に顔が赤くなるのが分かったんです。そのうち気分が悪くなって、食べたメロンをもどしてしまいました。今まさに、身体が新しい骨髄液を受け入れようしている、という感じでした。