"俺って運がいいから上手くいくかも"という楽観と、
医師の「すごい笑顔」が移植を決意させた。
リスクをはらんだ移植か、化学療法の続行か。2つの選択肢の間で揺れた当時20歳の三澤さん。
PROFILE
三澤仁平さん
18歳で浪人中でした。予備校に通っていたのですが学校まで行けないくらい体調が悪くて、検査したら骨髄異形成症候群という血液の難病でした。治療しながら2月には東北大学を受験して合格。好きな問題が出て、運が良かったんです(笑)。1年の間は何とか大学に通っていたのですが、2年になる前の2月にまた体調が悪くなり、今度は急性リンパ性白血病と診断され、骨髄移植をすすめられました。その年の秋には移植したので、ドナーの方は結構すんなりと見つかった方だと思います。
ただ僕自身の体調が悪くて、寛解に入らず時間がかかりました。でも、実は最後まで悩んでいたんです。移植をすれば治る確率は高いというが、もしかしたら1 人で孤独に死んでいくっていう可能性もある。でも、このまま化学療法を続ければ病院からずっと出られない生活だろう...と。
結局決断したのは、それまでの自分の人生を振り返ってみて「俺の人生って、結構運がよかったなぁ。浪人しなきゃあ無理をしてもっと悪くなっていたかもしれないし。この調子で移植もホイホイっていくかも。じゃあ勝負してみよう」と思ったこと。それと主治医にそんな話をしたら、「三澤くん、大丈夫だよ」って、すごい笑顔で言ってくれたんですね。その笑顔を見たとき、うまくいくかもという気がしました。
移植を受けた日を「第2の誕生日」と決めて、ドナーの方に感謝しています。なんだか移植を受けた後、自分が変わった気がします。物怖じしなくなったというのか。それは移植という体験をしたせいなのか、彼(ドナーの方)のDNAが入ってきたからなのか分かりませんけど。お酒も強くなったかな(笑)。移植を受けた仲間からはよく「お酒強くなったよ」という話を聞きますよ。
家族については、父親も母親も物事に動じないタイプだし、兄貴も能天気な男なので(笑)、逆に家族のそういうのほほんとした部分が救いでした。実際に僕がいない場面ではそうではなかったかもしれませんが。よく他の患者さんも言われることですが、「がんばれ」って言われるのは結構キツイことで、「十分がんばってるんだよ、これ以上どうしろって言うの」とカツンとくる。心も病んでいるからちょっとした言葉で傷つくんですね。