2002年12月に骨髄異形成症候群と診断されたことが「自分から動く」ことのきっかけになった。
大学4年生の長島さんは、学園祭やフリーマーケットに参加しながら、骨髄バンクのPRを行う「ようすけプロジェクト」の代表。
PROFILE
長島陽介さん
ある日鼻血が止まらなくなって、白血病だってことが分かる。これって、映画やドラマでよくあるパターンだと思うんですけど、俺の場合がまさにそれです。去年の12月1日、その日は受けるつもりだった就職試験の日だったんで覚えているんですけど、朝から鼻血が止まらなくなって、しょうがないから受験放棄ですよ。翌日、近所の耳鼻科でやっと止めてもらって、「もっと詳しくみてもらったほうがいい」と、医者から大学病院への紹介状を持たされました。
そんなわけで、大学病院での検査結果を聞くまえに「なんかヤバイ!?」っていう気もして、すごく親しい友達には「入院するかもよ」なんて話していました。案の定、結果を聞きに行った日に即入院。出血しやすかったその時期は、入院での輸血治療で乗り切りました。今はこうやって客観的に話せますけど、骨髄異形成症候群という病気になったという現実が重くて、落ち込んだというか、精神的におかしくなりそうだった時期もあります。
今は病状が安定しているので、投薬などの治療は学校を卒業してから始めることになってるんです。実際、学校行って、週に1回バイトしてっていう、普通の生活しているぶんには大丈夫なんですけど、睡眠時間を削って、ワーッと集中して何かするってことは、今できないです。逆に去年の12月までは、バンドやったり学園祭があったり、友達の映画製作を手伝ったりで、徹夜はするわメシは食ってないわ、すんごく体に無理させてたんです。入院するって言ったら、「やっぱりな、栄養失調だろ?」っていう友達もいたぐらいですから(笑)。
落ち込んでた時期っていうのは、その12月の入院から今年3月ぐらいまで。春休みで、友達は皆なにかやってるんだけど、自分は病気で家に閉じこもりきり、会話といったら、コンビニの店員に「ありがとうございました!」って言われるくらい。そういう生活って、精神的に参っちゃうんですよ。自分でも嫌になってきて、意識的に同じ病気を抱える患者会の集まりに参加したり、骨髄バンクのボランティアのイベントに顔を出すようになったんです。
そこで自分と同じく大学生で発病した人に会ったり、ガンを克服して社会復帰している人に会って話したりしているうちに、俺も何かやりたい気がしてきて、友達と「やろうぜ!」って感じで始めたのが「ようすけプロジェクト」。学園祭でビンゴ大会をやったり、フリーマーケットに出店したりしてるんですけど、そういう楽しいことをしながら骨髄バンクのことを話したりチラシを配ったりしています。偉そうに自分の名前付けてますけど、ボランティアだなんて気持ちは全然なくて、楽しく気軽に参加できることを通じて、骨髄バンクを知ってもらえたらって感じの活動ですね。
活動を始めた理由は、自分もいずれ骨髄移植が必要になるかもしれないっていうこともあるけど、自分がバンクのイベントに参加しはじめたとき、若い人間が気軽にできることがしたいなって思ったのがきっかけです。自分がたまたま興味がなかっただけかも知れないけど、同い年ぐらいの人が活動をしているところを見たことなかったから。同じ世代の人間が「骨髄バンク、知ってる?」とかやっていれば、興味なくても「なんだ?」って関心は沸いてくる。俺らの姿が、骨髄バンクのことを知るきっかけになればいいと思ってるんです。
活動のメインは「骨髄バンクのこと、知っていますか」と呼びかけること。患者のひとりとしては「ドナー登録してください」と呼びかけるべきなのかもしれないけど、自分は今すぐ骨髄移植が必要な立場じゃないから本当の気持ちとして言えないし、本気の呼びかけじゃないなら自分がやっている意味がないと思うし。だから「知って下さい」なんです。患者といってもいろんな人間がいるんだし、やっている活動がみんな同じじゃつまんないでしょ。だけど、知っている人が増えれば、ドナー登録する人の数だって増える。結果的につながることだと思うんです。
骨髄移植が必要な病気は、病気とはいっても、病状が安定していれば全く健康そうに見える。そのぶん、学校や職場で理解されなくて白い目で見られたり、逆に変に同情されたりして、こっちの本当の事情を分かってもらえないことが、実は結構辛いことだったりするんです。だから、きちんと理解してもらうこと、そういう人が世の中に増えることも支えになるんです。ドナー登録は、いますぐってわけにはいかないかもしれないけど、「知る」だけなら、そんなに敷居も高くないと思うんですけど。